余命宣告までの経過⑦ 退院、そして再入院へ

宇都宮 和紫(♂) • 2020年 11月 24日
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これは母が余命を宣告された日より、わたしが母の闘病生活を思い出しながら、家族としての思いや気持ちを綴った闘病記です。
 
しかし、当然にして家族としての気持ち――わたしの気持ちというはコチラ側から見た一方的なもの。
 医療関係者から見れば、現場を知らない人間の|戯言《たわごと》でしかないのかもしれません。

もし医療に詳しい方、または同じ様な経験をされたご家族の方々から、何かしらのお言葉を頂けたら幸いです。

 

 

 余命宣告までの経過⑦ 退院、そして再入院へ……

 

 約二ヶ月という入院期間を経て、ようやく母が退院した。

 自分の足で歩けるくらいまで回復し、わたしの車へと自分で乗り込んだ母。

 

「自宅療養をして、もう少し体力が回復したら抗がん剤治療に入りましょう」

 

 そんな主治医の先生からの言葉を母にと二人で聞き、自宅へと向かうわたし達。
 次の診察は一週間後である。

 胃の切除の後という事もあり、量は食べられないが、柔らかく消化に良い物であれば普通の食事が食べられるそうだ。

 

 そして、自宅の玄関を開けた母の第一声、
「ただいま~」
 という言葉に、わたしは自然と笑みがこぼれ、一緒に帰ってきたにもかかわらす「おかえり」という言葉が口をついた。

 

 正直、母が入院中の間、自宅の方でも色々とトラブルがあった。

 ホント、今年は誰か厄年なのか……? などと、本気で思った程だ。

 

 まず、洗濯機が壊れ、お店で使っていた冷凍庫が壊れた。
 そして、厨房の電気が切れたので、蛍光灯を取り替えたけど点かない。グローランプも交換してみたけどダメ。
 どうやら、本体の方が壊れたらしい。

 結局、壊れた蛍光灯の隣に、自前でLED照明を取り付けた。

 

 そして、わたしにとって最悪だったのが、わたしのノートパソコンが壊れてしまった事。

 まあコレは、缶チューハイを飲みながらパソコンを使っていて、その缶をキーボードの上に倒してしまったからで、自業自得ではあるのだけど……

 

 しかし母の退院は、そんな事を笑い話しに出来る家族団欒の時間となった。

 母の為に、寝ながらテレビが観られる様にと居間へソファーベッドを用意したり、柔らかく消化のよい食べ物を調べたりと、それなりに楽しい時間だった。

 

 ただ、そんな楽しい時間は、すぐに終わりを告げてしまったのだ。

 そう、退院一週間後にあるはずだった、最初の診察日よりも早く……

 

 退院四日目くらいから、母は食べた物をもどす様になり、翌日には全く食べ物を受け付けなくなってしまった。
 そして、その翌日――最初の診察の日の前日。背中が痛いと言い出した母。

 

 明日、診察の日だから、明日まで我慢すると言う母を、わたしは無理矢理に病院へと連れて行った。

 検査の結果、炎症の反応が出たと言う。

 

 おそらく、膵臓に入れた金属のステントだとの事。

 更に、夜になると40度近い高熱も出てしまい、母はそのまま入院となってしまった。

 

 翌日、詳しい検査結果を聞きに、病院へと行ったわたし。
 炎症はやはり膵臓のステントで、感染症が再発した危険もあるので個室への入院となった。

 

 更に、食べた物をもどすのは、吻合部狭窄《ふんごうぶきょうさく》という合併症だと言われた。
 吻合部狭窄とは、胃癌手術などで稀に見られる合併症で、胃と腸を繋げた吻合部が狭くなり、食べ物を通さなくなってしまうそうだ。

 

 退院から、わずか一週間足らずで病院へと逆戻り――しかも、一日の殆どを、誰とも会話などする事が出来ない個室へと逆戻りしてしまったのだった。

 

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