余命宣告までの経緯⑥ 最悪の術後経過

宇都宮 和紫(♂) • 2020年 11月 23日
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これは母が余命を宣告された日より、わたしが母の闘病生活を思い出しながら、家族としての思いや気持ちを綴った闘病記です。
 
しかし、当然にして家族としての気持ち――わたしの気持ちというはコチラ側から見た一方的なもの。
 医療関係者から見れば、現場を知らない人間の|戯言《たわごと》でしかないのかもしれません。

もし医療に詳しい方、または同じ様な経験をされたご家族の方々から、何かしらのお言葉を頂けたら幸いです。

 

 

  余命宣告までの経緯⑥ 最悪の術後経過

 

 通常、胃の摘出手術は術後二週間程で退院出来るという。
 しかし、母が退院したのは、約二ヶ月後だった……

 

 まず、母を襲った最初の悲劇は、痛み止め点滴がズレ、漏れ出してしまった事。

 手術の翌日、母は集中治療室を出た。そして術後しばらくは、点滴で痛み止めを打ち続けるのだという。
 しかし、翌日の深夜、その点滴がズレてしまったらしい。

 

 深夜の激痛に、慌ててナースコールをした母。
 とはいえ深夜である。看護師さんはすぐ来てくれたが、対応出来る医師は中々来てくれなかったらしい。

 

 激痛に泣きながら、看護師に縋り付いたという母……

 それも、当然だろう。胃の切除だけではなく、膵臓の切除も予定されていた手術だ。
 切開部は、身体の前面を端から端まで、お腹が一直線に大きく切られているのだから。

 

 そして、ようやく処置の出来る医師が来て、かなり強めの痛み止め(麻薬と同じ成分との事)を打ってもらったそうだ。
 しかし、そうそうすぐに効き目が出る訳もなく、結構な時間、痛みに苦しんだという。

 

 しかも、強めの麻薬と同じモノでの痛み止めと言う事で、目を閉じると視界が真っピンクになる程だったそうだ。

 

 そして、次の悲劇が肺炎……

 大きな手術のあとは上手く呼吸が出来ず、浅い呼吸になってしまう為、肺炎になりやすいという。
 そこで、手術前にあらかじめ、特殊な器具で呼吸の練習をするのである。

 

 当然、ウチの母もその器具を使って、呼吸の練習をしていた。

 しかし、それでも肺炎にかかってしまった母……

 

 手術の翌日。痛み止めの点滴が切れ、激痛で浅い呼吸どころか、呼吸する事すらままならない状態がしばらく続いたのだ。
 その影響も少なからずあったのではないかと思う。

 

 痛み止めの点滴漏れに肺炎……
 その影響なのかどうかは分からないけど、胆汁の漏れも中々収まらずにいた。

 

 そして肺炎が収まって、手術後二週間近く経って面会が許された。手術の一週間前から入院していた母と久々の面会。

 

 入院前日、お店が終わって後片付けをしていると、それを手伝おうとした母。

 その母に、
「明日から入院なんだし、後片付けはオレがやるから、ゆっくり休んでなよ」と言うと、
「痛くも痒くもないのに、ジッとばかりしてられるかっ!」
 と怒鳴り返されたわたし。

 

 その時の姿からは、想像出来ない程に憔悴仕切った母の姿に愕然となった。

 

 もうヤダ。帰りたい。
 そう愚痴をこぼす母に、わたしは|努《つと》めて明るく対応する。

 

 わたしは、笑顔をちゃんと作れていただろうか……?
 いや、多分作れていない。おそらく引きつった顔になっていただろう。
 それでも、その顔をあまり母へは見せずにすんだ。

 

 世間ではコロナ渦の真っ只中。
 病院内はマスクの着用が義務付けられていたからだ。

 かなり不謹慎ではあるけど、この時ばかりは少しだけコロナに感謝した。

 

 そして、面会の少し前から、流動食ではあるけど口からの食事が許されていたらしい。

 ご飯が美味しくない。帰りたい。と繰り返す母。
 そんな母を、もうすぐ退院出来るし、すぐ普通のご飯も食べられる様になるからと励まし、短い面会時間は終わった。

 

 もうすぐ退院出来る……
 確かに看護師さんからは、そう言われていた。

 

 しかし、実際に退院したのは、更に一ヶ月以上も先だったのだ。

 

 そう、その後に、大きな悲劇が待っていたのだから……

 最初の治療で、膵臓へ入れた金属の|管《ステント》。そこの部分が炎症して、感染症が起きてしまったのだ。

 

 若くて健康な人なら問題ないけど、高齢者が多く入院している大部屋では、他の患者に感染がひろがる可能性もあるという事で、母は個室へと移された。

 

 通常、個室は別途料金(差額ベット代)がかかるし、その分は保険も効かないものなのだけど、今回は病院側の責任という事で大部屋と同じ料金のままでよいという。

 個人経営の小さな料理屋。しかも、コロナ渦で客足は激減状態。費用の面で言えば、それは確かにありがたかった。

 

 それでも、体力的、精神的にまいっている母が個室に隔離されるのは、やはり心配でならなかった……

 

 そして、当初二週間~三週間という入院期間が、結局は二ヶ月近くに及び、退院したのは八月の終わり近くになってからだった。

 

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