余命を宣告までの経緯① 癌の発見

宇都宮 和紫(♂) • 2020年 11月 21日
4 コメント
4 いいね

▼ここから日記本文を記入してください。

これは母が余命を宣告された日より、私が母の闘病生活を思い出しながら、家族としての思いや気持ちを綴った闘病記です。

しかし、当然にして家族の気持ち――私の気持ちとはコチラ側から見た一方的なもの。医療関係者から見れば現場を知らない人間の戯言でしかないのかもしれません。

もし、医療に詳しい方、または同じ様な経験をされたご家族の方々から、何かしらのお言葉を頂けたら幸いです。

 

 

 四月の下旬。
 母の口から、尿の色がおかしい――尿が濃い黄色になってると言う言葉が出た。

 しかし、わたしも栄養ドリンクを飲み過ぎた時や、ビタミン系の食べ物やお菓子など食べた時などは同じ様な尿が出るので、その時はそんほど大きく捉えずにいました。

 しかし、その二日後――

 母の顔色が、明らかにおかしい。
 あまり色白ではなかった母。その母の顔色がハッキリと黄土色になっていたのだ。

 そう、素人目にもハッキリと分かる『黄疸《おうだん》』である。

 わたしは急ぎ、母を行きつけの病院へと連れて行った。

 入院設備や人間ドックの設備もあり救急外来や夜間診療もしている、そこそこ大きな総合病院。
 少し血圧の高い母が月に一度、血圧の薬を処方してもらっている病院で、二度ほど入院もした事のある病院である。

 入院は二度とも、腸の血管が切った事による下血(肛門から血が出る症状。切れた時は激しい痛みがあるが、傷口は数時間で塞がり、特に手術などする訳ではではなく安静にする為の入院でした)。

 そこで、診察を受けた母。しかし、特に何かの検査をするでもなく、問診のあと薬を処方されただけだったという。

 その話を聞き、わたしは思い切り顔を顰めた。
 確かに熱もなく、倦怠感や痛みもないという。しかし、この顔色は、明らかに普通ではない。

 翌日、わたしは母に付き添い、もう一度病院を訪れた。

 そこで、先生と話し合ったわたし。
 そして、「なら、もっと大きな病院で、検査してもらって下さい」と言われ、大きな病院の紹介状を書いてもらった。

 しかし、ちょうど世間では、翌日からゴールデンウィーク。病院も外来診療は休みである。

 やきもきしながら、連休が終わるのを待つわたし。
 幸いだったのは、ゴールデンウィーク中も黄疸以外、特に母の体調が優れないという事がなかった事だろう。

 そして連休が開け、書いてもらった紹介状を持ち、母の検査に向かったわたし達。

 レントゲン、CT、内視鏡と検査を行い、そして――

 母の癌が発見された……

 

 

▲こちらのテキストは削除してください。

膵癌 胃癌 肝臓転移